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レナウン (HMS Renown)は、イギリス海軍の巡洋戦艦。レナウン級の一番艦。同型艦はレパルスおよびレジスタンス(未成艦)。 Renownとは、「有名」「高名」の意。 == 艦歴 == スコットランド、グラスゴーのフェアフィールド・シップビルディング & エンジニアリング社によって建造された。1916年9月に竣工したが、ユトランド沖海戦に参加できず、第一次世界大戦の残りの二年間ではグランド・フリートに所属し北海で活動した。 第一次世界大戦後は修理の後、1920年から21年にかけてエドワード皇太子(後のエドワード8世)の巡幸に使用され、オーストラリアとアメリカ、日本などを訪れる(日本のアパレルメーカー・レナウンの由来も皇太子を乗せて訪日したこの船にちなんでいる)。1923年から1926年にかけて第一次近代化改装を行い、砲撃と水雷に対処するため装甲を増設した。 十年に及ぶ活動の後、レナウンはふたたび改装作業に入る。上部構造は大規模な改修が行われ、艦橋と前檣は前時代的な三脚檣から近代的な塔型艦橋に更新され前檣は軽微な三脚檣として新造された。二本の煙突はそのままだが副砲は10.2cm3連装速射砲から11.4cm連装高角砲へと更新され、ポンポン砲も最新の8連装型に更新され対空火力が強化された。また、2番煙突の基部は水上機格納庫となり、後檣と格納庫の間に射出カタパルトが中央部甲板上に首尾線と直角に埋め込まれた。水上機と艦載艇は船体中央部甲板の左右に設置されたクレーンにより運用された。この改装作業は第二次世界大戦勃発の直後、1939年9月に終了した。しかし、上部構造物の更新や対空火器の更新に伴う重量増加により、本艦の浮力は船体に追加されたバルジをもってしても不足し、吃水が沈下した影響により凌波性と速力が改装前に比べ低下した。 それでも既存戦艦に比べてレナウンの高速性は、第二次世界大戦において運用上の長所となった。1939年後半にはドイツ海軍のポケット戦艦アドミラル・グラーフ・シュペー探索のため南大西洋に派遣される。1940年4月にはノルウェー沿岸への機雷敷設作戦(ウィルフレッド作戦)を支援する。同月9日にはロフォーテン諸島沖でドイツ戦艦グナイゼナウ、シャルンホルストと遭遇し、グナイゼナウに打撃を与えた。1940年後半から41年にかけてレナウンはジブラルタルを拠点とするH部隊に所属して活動し、大西洋及び地中海に戦略的存在として影響を与えた。この間レナウンは、1940年11月にホワイト作戦に参加。 1940年12月20日、空母アーク・ロイヤル、軽巡洋艦シェフィールドなどとともにジブラルタルから出撃(ハイド作戦)〔''The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948'', p.116〕。地中海で戦艦マレーヤやマルタからの船団と合流して12月24日にジブラルタルに戻った〔。12月25日、大西洋で兵員輸送船団がドイツ重巡洋艦アドミラル・ヒッパーの攻撃を受け、レナウンはアーク・ロイヤル、駆逐艦8隻とともに直ちに出撃した〔''The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948'', p.117〕。この出撃の際、レナウンでは大波によって被害が生じ、12月30日にジブラルタルに戻るとドックに入った〔。次の作戦はMC4作戦で、レナウンはマルタへの船団を護衛した。レナウンは戦艦マレーヤ、空母アーク・ロイヤルなどととも1941年1月7日にジブラルタルから出撃し〔''The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948'', p.118〕、途中で船団と別れて1月11日にジブラルタルに戻った〔''The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948'', p.120〕。1月31日、マレーヤ、アークロイヤルなどとともに出撃(リザルト作戦、ピケット作戦)〔''The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948'', p.121〕。この作戦はサルデーニャ島のダム攻撃とジェノヴァ攻撃であり、前者はアーク・ロイヤル搭載機によって実施されたが後者は悪天候のため実施されず、艦隊は2月4日にジブラルタルに戻った〔''The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948'', pp.121-122〕。中止になったジェノヴァ攻撃はグロッグ作戦と名を変えて再び実行され、レナウンなどは2月6日に出撃した〔''The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948'', p.122〕。攻撃は2月9日に行われ、レナウンは15インチ砲弾125発を発射した〔''The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948'', p.123〕。2月12日、ドイツ潜水艦および航空機による攻撃を受けたHG53船団の救援を命じられ、レナウンはアーク・ロイヤル、シェフィールド、駆逐艦5隻とともに出撃〔''The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948'', p.126〕。だが、同日中に命令は変更となり、シェフィールドのみが救援へと向かいレナウンとアーク・ロイヤルはWS6船団を護衛することになった〔''The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948'', p.127〕。船団の護衛を2月21日にまで行い、25日にジブラルタルに戻るとレナウンはドックに入った〔。3月2日にドックから出ると地中海で訓練を行った〔''The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948'', p.128〕。3月8日、SL67船団護衛中の戦艦マレーヤが通商破壊作戦(ベルリン作戦)中のドイツ巡洋戦艦と出会い、それを受けてレナウンは出撃して船団と合流ししばらく護衛を行った〔。3月16日、今度はHX114船団護衛中の戦艦ロドニーがドイツ巡洋戦艦と遭遇し、それらがブレストへ向かったとの報告を受けてレナウンも船団から離れてその捕捉に向かった〔''The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948'', pp.128-129〕。3月20日、アーク・ロイヤル搭載機が以前にドイツ巡洋戦艦に捕獲された3隻のタンカーを発見〔''The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948'', p.129〕。レナウンはそのうちの2隻を捕捉したが2隻とも自沈した〔。その後もドイツ巡洋戦艦を捜索したが成果は無く、3月24日にジブラルタルに帰投した〔。4月になるとマルタへの航空機輸送作戦(ウィンチ作戦)に参加し、それから4月8日から16日までアーク・ロイヤル、シェフィールドなどとともにドイツ巡洋戦艦のいるブレストの封鎖にあたった〔''The Battle-Cruiser HMS Renown 1916-1948'', p.130〕。 5月にはビスマルク追撃戦に参加した。1942年から43年にかけて本国艦隊に所属した後、レナウンは東洋艦隊に加わりインド洋に派遣される。1944年から45年にかけてセイロン島を拠点として活動し、日本海軍を牽制した。 レナウンは第二次世界大戦を生き残った唯一の巡洋戦艦であり、大戦後は本国沿岸で短期間活動したが、1948年3月にスクラップのため売却された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「レナウン (巡洋戦艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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